野村俊彦 空想体操

2000年2月

 もし、「自分が〜だったら」と考えたことは皆あるだろう。しかし慣れていない人物をターゲットとして考えたことはありますか?  僕はある。ありまくる。皆もこれを読んでいろいろ考えてくれると嬉しい。しかしこれはあくまで「自分」であるから。僕の空想を覗き見する感じで読み流して欲しい。

〜今回のターゲット 駄菓子屋さんの婆さん〜

 朝。店を開ける時間は決めていないが、開店する時間は毎日ぴたりと同じ。体内時計に狂いはない。長年の生活リズムが自然とそうさせている。義務であるかのように食事を済ませ、名前を聞いたことさえ忘れた顔見知りの主婦と挨拶を交わしながら店のシャッターを開ける。

「同じような一日が今日も始まるか」
と今日も独り言。決して不満はない。むしろ「同じような一日」に対する好奇心は失っていない。ちょっぴり期待。ちょっぴり恐さ…
 幼い子がお菓子を買いに来るといつもの感情が湧き出る。「かわいいな」と。このかわいいな度合いは年々増しているが自分では気付いていない。「かわいいな」という感情から自然に表れた面を子に向けてかまってもらう。それが「笑顔」と言える表情であるかは疑問。原形を失った笑顔以上の可能性有り。

 下校する小学生がちらほら見えだすと、定番の悪ガキ達が愛しくなる。待ち遠しく思ったりする。必ず「思ったり」する。悪ガキ達が現れても決して愛想良くはしない。そう決めている。そのぐらいが丁度いいと思い込んでいる。

「新しくコーラ味が出たよ」
と新製品を勧める。新製品と言い切れないラインが何とも良い。悪ガキ達は『新』という言葉に弱い。それを良く知っての犯行である。この時間、戦場と化した店が楽しくて仕方がない。でも顔には表さない。『大儲けしたい』という欲は捨てきれていないままだが、道楽営業のため売上は気にならない。

 気が付けば夕方。時間に対する感覚は失っている。早いのか、遅いのか、ここ数年気にしたこともない。
 店を閉め始める。『わざと』かと思わすほどゆっくりとシャッターを下ろす。が、閉店ぎりぎりセーフの少年と「まだいいですか」の言葉を待ち望んでいる。ゆっくりのシャッターは『わざと』である。

 ぎりぎりセーフの少年はこちらの顔をうかがいながら大急ぎで商品を選ぶ。『短い時間で』という課題を自らに与え、自分の欲求と精一杯戦っている少年の姿は何とも言えない。憎めない。余裕を与えてやりたい。抱き締めたくなる。こちらにも多くの思考を与えてくれる。こういった少年に限って『大した物』を手に入れられない。長年の経験から分かっている。『時間』に少年の欲求が敗れる。焦り、くじもハズレる。

 そんな少年に串に刺さった甘辛いイカを差し出す。自分の手に光を感じる。神も手。一日一膳完了。

 最近は駄菓子屋も数少ない。変に狙った繁華街にあるこじゃれた駄菓子屋は爆破していきたい。アタリ付きアイスも妙に減った。自分が年老いたとき、純粋に『駄菓子屋』といえる駄菓子屋は存在するのか。現実的な考えが脳に登場してきたので今回はここで空想終了。

ベース 野村