野村俊彦 空想体操

2000年11月

 最近はカゼをひいて、脳みそが3つある気分です。
 そんな気分で書きました。

 〜自分がもし、タクシーの運転手だったら〜

 僕がタクシーの運転手になり、もうどのくらい経つのだろう。初めは初々しく、サービスに徹していたのだが、最近はまあ「それなり」になってきた。しかし運転技術はすさまじく上達した。これははっきり言える。F1レーサー達の走りはすごいとは思うが、負けた気はしない。なんならF1レーサー達に「タクシーの運ちゃんやってみろよ」と言いたいぐらいだ。

 今日もいつもの客乗せポジションで客を待っている。待ちわびている。しかし恋人からの電話ほどのウキウキ感は別にない。「タクシーは旅気分」これが僕の口ぐせ。

 少し待つと、胡散臭そうなオヤジが僕のタクシーを求めているのが分かった。そういう目。あまりオヤジは乗せたくないのだが、これは仕事。そうは言ってられない。この瞬間プライベートという言葉は一切存在しない。存在してはならない。しかし美人なお姉さんが乗ったときだけ少し存在可。

 ベストなタイミングで自動ドアを開け、オヤジを乗せる。このタイミングは自分なりのこだわり、他人には分からない。そしてオヤジを乗せた。すると、ミラーに後ろのタクシーに美人な人が乗るのが見えた。なぜかとても損した気分(ちょうど友達とビックリマンを買いに行って自分はいらない悪魔で友達は欲しかった天使が当たった、小学生のあの頃の気分)。

 そして僕は言う。「どちらまで行かれますか」。この一言で僕とオヤジの思いっきりあてのある旅がスタートする。
 するとオヤジは目的地を長々と説明し始めた。「違うよ、おじさん。この街は僕のテリトリーなんだ。僕に長い説明は必要ないよ。こればっかりは自負するね。」と言いたいところだが、ここは我慢。オヤジの目指す目的地へと車を走らせる。客を乗せ、車を走らせるといつも思う。「なぜ僕はタクシーの運転手になったのだろう。別にこれと行って車好きじゃないし、運転することも別に。どうせならどっかの成金の専属運転手のほうが良かったかも。」こんな考えからか、自分なりの細かいこだわりを持つことによってけっこう無理にこの仕事を楽しんでいる。

 オヤジを乗せた僕のタクシー。目的地までの会話はもちろん皆無。この沈黙、嫌いじゃない。
 そしてそのまま目的地に到着。ここでまた自分なりのこだわり発生。料金は1380円。さあ、このオヤジはいくら渡し、いくらのおつりを求めるんだ。この数秒の間で自分の中だけの会議が開かれる。おそらく1500円だ、よし、120円を既に用意しておいてやれ。そして右手に120円を握りしめ、オヤジが出す金額を待つ。するとオヤジは1380円ちょうど出してきた。このやろう、オヤジのクセにこすいんだよ。この右手に握りしめて人肌に温もった120円をどうしてくれるんだよ。

 「ありがとうございました。」100%作り出した声と態度でオヤジを降ろす。次は絶対払う金額を当ててやる、と心に刻み、次の客を捜す旅がまた始まる。ああ、今日はあと何人、数千円の金額で僕に命を預けるバカな命知らずの客が乗るのだろう。数kmの距離でも心中する気分で乗ってくれなきゃやりがいがねえ。

 こんな事を考えてたら本当にタクシーが恐くなってきたので今回の空想体操はここまで。

ベース 野村