野村俊彦 空想体操

2000年秋

 最近すっかり寒くなってきて、少しずつ「秋」という季節に近づいてきている。ついこの間まで夕方と位置付けられていた時間帯が、今では夜と位置付けられてもいいほどである。
 この「夏」と「秋」の間の時期は、僕は大変好き。良い匂い。
 こんな季節になって少し淋しく、いや本当は別に全く淋しくないのだが、セミの声がなくなっていくのに気付く。「毎年セミはよく鳴くな…」なんていう人がいるけど、同じセミが毎年鳴いているわけではない。今年のセミは来年にはもういない。毎年夏に現れるチューブとはわけが違う。
 セミは土の中で何年もの間いて、外に出て脱皮してから1週間ほどで死んでしまう。そんな切ないセミたちの気持ち、生活、行動、考えなどを自分なりに空想してみた。

〜セミたちについて〜

 土の中。彼らは何年もの間ここで過ごす。とても退屈。多くのセミの幼虫たちは外の世界に憧れを抱き始める。
「外はすっげえ広くて、何でも俺たち飛べるらしいぞ」
「まじで?俺たち飛べんのかよ」
「ここはくそ息苦しい。早く出てえ」
「いやまて、お前はまだ幼すぎる。ある程度脱げる皮が出来てから出ることだな」
 このような会話は日常茶飯事。丁度、人間が思春期に性に目覚め、「エロ話」をし始めるように、思春期を迎えたセミの幼虫たちは外に目覚め、「外話」をし始め、興奮している。生まれたばかりの幼虫は、「まだ早い」と怒られる。ませたセミも必ずいる。それは人間も同じ。脱皮の仕方はこの時期に覚える。

 しかし彼らは出て行った仲間が帰ってこないことには気付いていない。気付こうとしない。その辺は浅はか。そこまでの脳を持ち合わせていない。

 セミたちが冬に外へ出ないのは、寒く、土の中のほうが居心地がいいから。ただそれだけの理由。
「外の世界は恐い」
 こう思うやつも中にはいる。こういったやつらは土の中で死亡。欲のないセミたち。逆に好奇心が強すぎて、まだ早いのに外に出てしまうやつもいる。こういったやつらは脱皮できずに死亡。焦りすぎたセミたち。

 そして今年も夏。外に出れるほど成長したセミの幼虫たちは大はしゃぎ。祭り気分。みんな脱皮の仕方をイメージトレーニング。少し興奮気味。

 やがて時間差、日にち差でたくさんのセミの幼虫たちは外へ出る。脱皮を見られるのは恥ずかしいので人間の寝ている朝を狙う。好奇心、夢膨らませつつ。

 それぞれ手ごろな脱皮ポジションを見つけ、しがみつき脱皮をイメトレ通りこなし、飛び立つ。
「うおー、外最高」
「俺、飛んじゃってるよー」
 興奮しすぎて失禁する奴らも多数。飛び始めは夢心地の中。しかし、しばらくするとそとの状態に気付きだす。
「暑い。土の中より暑いぞ」
「しまった。春か秋に出てくりゃよかった」
「死ぬ。」
「助けてくれ」
「土の中に戻りてえ」
 セミたちは大声でわめき、叫ぶ。

 これが毎年僕たち人間が耳にするセミの鳴き声。正式には「泣き声」。しかしこのセミたちの叫びは、ミーンミーンなので人間たちに伝わるわけがない。こうしてセミたちは暑さ、声の出しすぎなどのため、1週間ほどで死んでしまう。そりゃあたりまえ。

 今も土の中には外の恐ろしさを知らずにわくわくと外に出られる日を待ち望むバカなセミの幼虫たちが暮らしている。

ベース 野村