第一回
サンプリングサンのGt.&Vo.の矢野です。このコーナーは極自分的、非コミュニケーション的、東京の地下水的な垂れ流しなものでありまして、と同時にピュアな自慰であるとも言える、あまり生産的ではないコーナーです。
でも僕は意味がないもの、非生産的なものが嫌いではないです。というかむしろ好みます。サンカクを求めるのです。割り切れないもの……色々……ふむ。一時期そのことについてものすごく悩んだ時期がありましたが、結局「好きなんだからしようがないじゃないか。人間だもの。」と月並みな結論しか出ませんでした。あきらめちゃった。うおおー!!………欲しいけど欲しくないのです。はああ……ぶきっちょなのです。ふむ。
僕の趣味の一つにプラモデル工作があります。僕は次男なので幼い頃から兄貴の見よう見真似で色々なものを作りました。兄貴とかいると変にませようとするじゃないですか。だからよく意味もわからないのに、あの頃は兄貴が作っていた戦争関連(特に第二次世界大戦)のジオラマ、戦車、たとえばキングタイガー、ドイツパラシュート部隊降下作戦、ジブラルタル海峡横断、などなどのプラモデルを作っては大人ぶっていました。お前らまだそんなアニメ見て喜んでいるのか…ふへへ、見たいな感じで。
しかし今考えると「通信歩兵セット」で休憩をしている歩兵のティーカップにプラカラーで色付けしている姿とか、ジオラマに土嚢(袋の中に砂を入れたもの。当時積み上げてバリケードとして使われていた)が足りないからと「土嚢セット」を買う保育園児の姿は、キレる少年予備軍とでもいえそうな危険(地味に)なものだったのでしょう。しかしもっと最前線の死闘とかサマになるやつがあっただろうに……なんだよ「土嚢セット」って……。トホホ…。でも売る方も売る方ですよね。こんな「土嚢セット」とかも企画会議とかで決められとるんかな。「リアルな戦争を再現するのに土嚢は不可欠でしょう!消費者は本物を求めているんですよ!僕は絶対に退きませんっっ。んふっ!!」なんていうどこの派閥にも属しない気鋭のサラリーマンの姿が目に浮かぶようです。でも絶対売れてねーだろうから窓際だろうなぁ…。まぁいいか。あと「医療看護兵セット」とかいうのも作った覚えがあります。ショボボボ。
そんな歪んだ幼年期(いや、そんなでもないか)に光をもたらしてくれた物語がありました。見事健全な少年に更正させてくれた物語があります。それは当時一大フィーバーを巻き起こした「機動戦士ガンダム」であります。皆さんの中にもこよなく愛する方はたくさんおると思いますが、この「ガンダム」こそはその頃の僕の欲する要素を全て満たしてくれた物語でした。単純にモビルスーツはカッコいいし、シャアの存在とかも憧れるものがあります。しかし何よりも斬新だったのが「リアルな戦争」だったということです。子供向けアニメで不可欠だったはずの善と悪の定義がほとんど存在しないのです。どちらの言い分も一理ある。それが平行線なので戦争に至る、というまさに現実的な、言うなれば「仮想シミュレート戦記」なのであるといえましょう。
いやいや、あの頃も楽しめて今でもぜんぜん普通に物語として見れるものってそんなにないですよ。フヘン。普遍ですよ。本当に。俺も爆好きだぜーという人がいたらぜひお話しし合いましょう。あっ、でも僕はZZ(ダブルゼータ)からは見とらんのでそこまでの話で。ふむ。
まぁまぁその当時「ガンダム」のプラモデルが終始売り切れ状態という空前絶後の大ブームになったわけですが、当然僕もそりゃ「そんなロボット戦争なんて現実にはありえませぬ。」なんていうひん曲がった子ではなかったのでもう今まで培った技術も生かして製作に明け暮れました。いやー、数々作りましたよ。実に。うすめ液のシンナーの臭いが物凄く気持ち良くなって危なかったです。隣の親戚の人なんかはプラ板だけでガンダムを作り上げて近所の度肝を抜きました。いやー楽しい思ひで波止場ですね。
時は19XX年。僕もまあ成長して「ガンダム」やらプラモデルよりも部活や異性のこととかの方が重要性を増してきてですね(エヘヘ)、少しブランクが空きます。この頃にも製作活動に明け暮れていたりしたら第二次性徴も手伝って、今ごろはアニメージュの専属モデラーも夢ではなかったかもしれません(そりゃ甘いか)。そんなこんなで、えーと、ふっと何時だったか忘れたけど(多分深夜に「劇場版ガンダム」の再放送をしてくれてた時ぐらいかな)。大学に来てぐらい。そのくらいからまたメラメラ燃え出したのであります〜〜〜
〜続く〜